院内広報誌「こうじん」TOP




新旧広報委員長ご挨拶
これからの「こうじん」
東松山宏仁クリニック 院長 吉川 康行

「こうじん」編集委員長を辞するに当たって
宏仁クリニック 院長 冨田 哲也

第1回親睦会「納涼の夕べ」
宏仁会小川病院 事務長 徳竹 勇

歩こう会
宏仁会小川病院 透析室 看護師 菊地 和彦

マナーある運転を目指して
運転管理部 小松崎 満

寄稿
気持ちを若く
宏仁会小川病院 院長 吉田 哲

オペ室こぼれ話(その2)鬼手仏心
宏仁クリニック 院長 冨田 哲也

人事往来

この人だぁ〜れ?

編集後記



東松山宏仁クリニック 院長 吉川 康行

吉田先生が創刊された「こうじん」を冨田先生より引き継ぐ事になりました。宏仁会も3施設となって10年。職員も100名近くとなり、「こうじん」が職員間の交流にそれなりの役割をはたして来ました。吉田先生、冨田先生を初め関係者の努力の賜物と考えています。しかし、「こうじん」が創刊されてから5年。職員の交流ばかりでなく、患者間の交流、対外的な広報など新しい企画が必要ではないかと思っています。皆様のご協力をお願い致します。



宏仁クリニック 院長 冨田哲也

院内広報紙「こうじん」の編集委員長として、ほとんど役割を全うしていなかった様に思い反省しております。そこで、広報部が創設され、定期的に「こうじん」を発行して頂くことになり大変感謝しております。院内の行事や活動において、その内容を行き渡らせることは大変重要なことであると考えます。コミュニケ−ションを深め、お互いをより良く理解することが、仕事上のヒアリハットを少なくさせ、且つ、効率化を計る上でも大切な事と思われます。
この後は東松山宏仁クリニックの吉川院長にバトンタッチし、新たな視点で「こうじん」を作って頂きたいと思います。



宏仁会小川病院 事務長 徳竹 勇

平成16年7月29日(木曜日)午後7時30分より、地元小川町「二葉本店」にて宏仁会3施設職員総勢52名と埼玉医科大学より非常勤医師として診療に当っておられる星先生(宏仁会小川病院勤務)と菊田先生(宏仁クリニック勤務)のお二人を迎えての「納涼の夕べ」を開催した。
納涼の夕べに相応しく今年の暑さは格別で気象学的にも異常気象といわれるように年々気温の上昇やら、早めの台風到来など気がもめるものがありますが、それはさて置き、司会徳竹事務長より、今回の病院親睦会「納涼の夕べ」開催に至った経緯の報告(内容を掲載)があり、北川理事長より改めて開催趣旨を交えた開会挨拶、続いて吉田院長の皆で大いに楽しもう!との乾杯の音頭、そしてこの暑さに負けないようにアルコールが喉をとおり、うなぎを食しながら9月5日(日曜日)開催の3施設合同研修会・公開市民講座の特別招待講演の演者「鈴木ひとみ氏」の映写と紹介が広報部武野谷よりあり、地域の多くの方々の参加を期待したい。 3施設「歩こう会」からは、これも自然の中、木漏れ日を浴びながら楽しく歩いている仲間、見ている皆に楽しさを与えるような映写を使っての報告が歩こう会会長菊地の代理として医療情報部藤原よりあった。続いて、徳竹事務長より病院法人本部理事長・常務理事の自宅大谷家が登録有形文化財に指定されたことの報告として、今日まで大切に維持管理されている建物、また技術の粋を集めての建具、装飾など正に聞くところの「お助け普請」が随所に見られた映像と共にその説明があった。
今回の会場二葉本店本館も、今年新たに登録有形文化財に指定されたことを聞き、指定された建物の中で開催できたのも奇遇であった。
前半終了のあと、星、菊田両先生からの自己紹介を兼ねたご挨拶を頂戴し、後半は冨田院長の独壇場となり楽しみが倍加され、有志何人かの美声を聞きながら終了する時間を迎えた。
閉会挨拶は、大谷常務理事より職員一同を労うと共に力を合わせて益々発展されることを望むとの言葉があり、最後は恒例の冨田院長の〆で第1回の親睦会を楽しみと共に終了することが出来た。 今回の行事に忙しい業務のなか映写フイルムの作成、また、会場の準備等に携わっていただいた各位に厚くお礼申し上げます。
ここで紙面を借りて病院親睦会の新たな出発に当り、この会の趣旨を報告致します。平成15年度親和会より、同会の運営を冠婚葬祭の互助組織として新たな出発を期したい旨の報告と打診がありました。 そこには会の運営上、会費の扱い問題、ことに行事等に参加できなかった職員に対する還元の問題等も含まれていたと記憶しております。 元々、職員の親睦を図りたいという趣旨で発足が許可された組織でありましたが、職員数の増加と共に考え方を統一しきれずに新たな出発を期したいとの結論に至ったと考えております。
会の申し入れを踏まえ、また、病院の年間行事等の見直しを行なった結果、忘年会以外にもう一つ、職員や日頃お世話になっております先生方、関係者の方々に声を掛け、親睦を深められるようなイベントを病院主催で行なって行くことに決定しました。 この親睦会は、宏仁会3施設はもとより広い意味で人と人との繋がりを重視し、親睦を図ってもらいたいという願いで開催されるものであり、その年その年によって旅行を計画したり、今夜のように納涼会にしたりと柔軟性をもった会にしたいと考えております。 このような趣旨をよく理解した上で、病院の公式行事として捉え直していただきたいと思います。
ゲストは別ですが、決して参加したい人だけが参加する会ではありません。
親睦を図るということは、一人一人に誠意や思いやりがなければ出来ないことです。 この日だけは仕事のことは忘れて、お互いに盛り上がれるような会を目指し新たな出発を期したいと思います。
尚、この会の開催に伴い、宏仁会3施設の結束を図るために会の名称を検討しておりますが、情報誌「こうじん」のロゴマークにも使用されていることもあり、「三つ葉会」という名称が候補として上がっております。 来年度の計画を練る段階までに決定したいと考えております。 また、今回は時間的な制約もあり今年度の親和会の役員に手伝っていただくことになりましたが、来年からは、その都度病院側で3施設から幹事を選出させていただきたいと考えております。 例年行なって参りました宏仁会合同研修会後の慰労会は廃止させていただき、病院の主要な行事として、なるべく上半期にこの親睦会を、下半期に忘年会と二つに絞ることになります。 職員一同の理解と協力をこの場をお借りしてお願いいたします。



宏仁会小川病院 透析室 看護師 歩こう会会長 菊地 和彦

月日が経つのは早いもので、宏仁会歩こう会が発足し5ヶ月が経とうとしています。まだ梅雨のはしりであった6月の始めに「歩こう会の会長をやってみないかね?」と、声がかかり、不安な毎日だったのを覚えています。
さて、始めてみればなんとやらで、参加者も会を重ねる度に増えています。私的にうれしく思うのは、「職員の皆さんが居るから安心して歩ける」「他の患者さんとの交流が出来る」「不安だったけど来たら歩けた」などのお話しを聞ける時です。短い距離でも「一緒に歩く」事で、病院だけの関係に留まらないコミュニケーションをとることができる事に大変満足しています。
現在、残念なのは私が主に小川病院勤務の為、多施設の患者さんへの説明が足りず、参加が未だに0ということです。歩く場所もそれぞれの患者さんが参加出来るように考えて、最近ではコースもショート、ロングと個別性に合わせられるように設定しております。また、スタッフの参加も徐々に充実してきました。まだまだ試行錯誤の段階ですが、一人でも多くの参加者(スタッフ、患者さん)を期待し頑張って行きたいと思います。
最後に余談ではありますが、発足当初の私の体重約100kgが9月現在88kgにまで減っています(笑)これも歩こう会効果!?でしょうか。ダイエットに興味のある人は一回歩いてみてはいかがでしょうか?



宏仁会小川病院 運転管理課 小松崎 満

安全運転、漢字で四文字それが難しい。運転の上手下手を問わず事故、違反を起こさないのが一番です。
運転をはじめて数年経過すると、運転免許をはじめて手にしたときの事を忘れてしまい、マナーの無い運転や、違反行為を行うようになってしまいがちです。道路は自分だけが走っているわけでは有りませんので、譲り合いの精神が必要なのではないでしょうか。
狭い道路に障害物が有り、反対側から車がきても障害物をよけて通過をする車や、右折をする際、基本では道路の中央部に寄って対向車が通過してから右折を行うのが基本ですが、なんの理由かわかりませんが、基本とは反対にいっぱい左に寄って、直進車の進行を妨害して交通渋滞の原因を作っている車を最近多く見かけます。
病院の送迎車両は看板が書いてある車両です。第三者から見て、安全運転は勿論、マナーのある運転。きれいな車両の運行で、事故防止に一人一人が気を配った運転に心がけたいものです。
基本を守り乗車している人たちが安心して乗っていられる運転を目指して頑張ります。ご協力お願いします。



寄稿

◇「気持ちを若く」
  宏仁会小川病院 院長 吉田 哲

私は、間もなく60代の半ばになろうとしている。すでに目・耳・歯その他諸々にがたがきている。しかし、気持ちはまだまだまだ40代後半だ。皆さんは実年齢と気持ちの上での年齢との間にどのくらいの差を感じているでしょうか。
誰もが願うことは、いつまでも若々しく生きることである。「若々しい気持ちで暮らす」には普段からどのような心構えを持って過ごしたら良いのだろう。つぎの文章を引用させて頂く。著者は、小雑誌「いずみ」に、毎回心の温まる爽やかな随筆を連載しておられた元浜松医大精神科教授大原健士郎先生である。
…余暇を楽しむだけでは、生きがいは出てこない。何か役に立つ仕事や勉強をとうして生きがいを作る。家庭や地域社会での役割意識に目覚める。「一日一善」の精神を持つ。娯楽番組だけでなく、ニュース、お天気、教養番組など何にでも幅広い知識を獲得するように努める…(「心のはり‥気持ちを若く」、日医ニュースより)
若々しく生きるには、「生きがいや社会への貢献意識を持ち、陰徳を積み、何事にも興味を示す」心の張りを持ち続けることが必須条件のようだ。心の若さを保つには、肉体の若さの維持と同様に、日々の努力の積み重ねが重要のようである。
気持ちの上での年齢は自分の単なる錯覚であり、幻の願望であるのかも知れない。

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◇オペ室こぼれ話(その2)鬼手仏心
  宏仁クリニック 院長  冨田 哲也

患者はよくしゃべる。オペ中に篆刻の話になった。父親は石井雙石と言う人でその功績を称えて、生まれ故郷の千葉県九十九里の大網白里町で記念碑を建てて貰い表彰されたと言う。篆刻についていささか知識があったので話を進めた。石に文字を刻み込む仕事が篆刻である。その刻み込む文字は一種の象形文字のような形をしており、美しさと芸術性が求められるところである。とにかく、勲章を貰った人で、その町では立派な人物であった。娘が東松山に住んで居た家に、晩年暮らした関係でこんな話と縁が出来た訳である。その人の生き様についてであるが、芸術家一代と言う生き方一つで、家族は省みず身内に後継者を求めず、自分が納得しないものには厳しい姿勢で望んだと言う。勲章に対しても重きを置かず、賞状を飾ることはせず、土間に放置して置いた。訪ねて来た人がそれに気付いて別の所に保管したと言うエピソードがある。陸軍に入隊し、日露戦争に従軍したのに表彰されず、篆刻で表彰されたことに納得出来なかったと言う。文字を九十九里浜の砂地に何度も何度も書いて覚えた。初めは指で描いたが、その文字を消すのに打ち寄せる波で消えることが解ってから棒切れを使って字を書くようになった。そして覚えた文字を暇さえあれば、板切れやカボチャの蔕や竹の幹に彫り込んだ。その芸に魅せられて、秀でた人になっていった。非凡な人間は何らかの習性があるものだと思った。
良く書道をする医者がおり、書道展に出品する人がいる。書いた文章の最後にその人の雅号と篆刻を押して完成となる。患者はお医者さんには、良く「鬼手仏心」という篆刻を造ってあげることがあると言う。そこで、小生の外来で書道家のKYさんがおり、「無我」という文字の篆刻を彫って貰った話をした。後で解ったことであるが、このKYさんのことを間違えて石井雙石の弟子のKさんと言ってしまった。年代が三十年以上も違っていたのである。北住さんのオペも終わりに近づいた。「先生は籠を造るんですか?」と聞いてきた。東松山のクリニックでUMさんに{{かご}}を一つ上げたのを見ていたのである。「そうだよ」と答えてしまった。「あまりに良い話を聞いたので、Oさんにもプレゼントしなくてはいけないかな?」と言った。その為か、石井雙石の功績を称える碑の顕彰式の写真を見せてくれた。


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