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●院内広報誌「こうじん」TOP
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●鼎談
宏仁会小川病院の過去・現在・将来【その1】
宏仁会小川病院 理事長 北川 宏
宏仁会小川病院 常務理事 大谷 百子
宏仁会小川病院 事務長 徳竹 勇
三施設合同研修会・感想文
●研修会に出席して
宏仁会小川病院 患者友の会 会長 小室 範三
●研修会感想
宏仁クリニック 患者友の会 会長 志村 政市
●三施設合同研修会に参加して
東松山宏仁クリニック 患者友の会 会長 福田 等
●第46回透析学会に出席して
宏仁会小川病院 院長 吉田 哲
●お知らせ
●消防訓練
●施設職員紹介
●寄稿文
医療とサービス
宏仁会小川病院 医療事業部 清水 宏
病棟勤務一年を振り返って
宏仁会小川病院 病棟主任 澤田 政江
栗林だったこの地に
宏仁会小川病院 栄養課 山崎 良法
後工程(あとこうてい)がお客様
宏仁クリニック 透析技士主任 山口 和彦
●鼎談
◇宏仁会小川病院の過去・現在・将来【その1】
はじめに:
―間もなく、宏仁会小川病院創立20周年を迎えます。この機会に、本誌『こうじん』に、病院の過去、現在、将来について、理事長、常務理事、および事務長のお三方からお話を受け賜り、その内容を掲載したいと思いますので宜しくお願い致します。なお、本日の司会役を本誌編集長の立場から、吉田(宏仁会小川病院院長)が勤めさせていただきます。
順序として、まず現実を認識する意味から、事務長に、当院が置かれている現状についてお話して頂きます。その後、当院の20年間に渡る発展の過程を理事長と常務理事からお話していただき、最後に皆さんから将来の展望について御伺い致します。
現状について:
1.当院3施設を取り巻く医療状況
―現在、透析患者さんは約20万人、年間の透析医療費が一兆円とのこと。しかも、透析患者さんの増加は今しばらく続くと予想されます。厚生労働省は近く医療費の全体を下げる構えです。一方患者さんの増加が見込まれるとはいえ、保険点数の切り下げを含めて、医療環境の周辺は厳しい状況であることも周知のところです。当院3施設を取り巻く医療状況をどう捉えたら良いのでしょうか。事務長にお願い致します。
今日の医療状況は、ご存知のとおり1999年度国民医療費は30兆9337億円で、毎年1兆円規模で増大している現状です。こうした医療費の増大が健康維持増進向上に役立っていることも考えられますが、一方人口構造の急激な高齢化に伴う疾病構造の大きな変化に対して対応していかなければならないと思います。
医療保険体制における保険料や、国庫負担金の医療保険財政の収入は、完全に経済に依存していると思います。このため、経済情勢が変化すると保険財政の収支バランスが崩れ、その都度患者負担の引き上げや診療報酬の見直し等手直しを行なわざるを得ない構造になっており、その結果 、これまでに頻繁に医療制度の改正が実施されてきたし、これからもこの構造は変わらないと思います。
一方、病院にとっては経営の改善を余儀なくさせられることになり、生き残りをかけた経営をせざるを得ない状況となり、まさに「医療経営冬の時代」あるいは「淘汰の時代」と言われる所以であると思います。このような状況の中で、3施設の医療体制の充実と医療サービスを提供する「事業」を継続的に行う病院として組織面 、人事面、環境面等の改善策に取り組んだことはご存知の通りと思います。今日では、政治の世界でも改革論が叫ばれ、国民もその痛みを分かち合うとの声が盛んであり、日常的に使われる言葉となっていますね。
透析医療の現状としては透析患者数20万人、毎年1万人ずつ患者さんが増えている状況ですが、保険点数の切り下げ、包括化は更に進んでいくものと考えられ、透析医療の環境は大変厳しいものがあります。当病院としては他の医療機関との連携を強化し、医療の質と共に職員の質をも高め、研修会等の活動を通 じて地域との関わりを深め広く病院の評価を高めることが大切ではないかと思います。
2.業務改善策の進行状況
―ひき続き、事務長にお願い致します。平成12年度から、3施設連携勤務の導入をはじめとした業務の改善策が提示され、すでに実行されたもの、現在進行中のもの、あるいはこれから実施されるもの等があると思われますが、現在の進行状況と今後の大まかな実施予定についてお話し下さい。
平成12年3月7日(火)の3施設合同職員総会において「三施設の業務改善策について」の報告にはじまり、既に1年6ケ月が過ぎようとしています。 医療機関の場合は、よい意味でも悪い意味でも職員の間にプロフェッショナリズムの意識が強いことです。要は、病院の経営理念に基づいた医療従事者としての価値観の共有化ということが一般 企業にも増して重要なことだと思います。
職員の増員については、地域的な状況もからみ特に看護婦(士)の確保が非常に厳しい状況の中にあることだけは確かです。これを克服しひき続き確保に向けて努力をしていきたいと考えております。そして、受付業務の改善策としての委託業務の導入、運転管理部の設置と人材確保、より高い3施設の医療体制を構築するための人事異動の実施、各部署におけるカンファレンスの実施、MRSA等院内感染対策委員会の充実、院内情報誌「こうじん」の発行、3施設一体とした勤務体制の実施、そして、なによりもコンピュータシステムの導入です。多少時間がかかっていますが3施設の情報共有化に向かって進んでいるところです。
今日までのあしどり:
−小川診療所の開設から始まり、その後間もなく宏仁会小川病院へと規模を大きくし、さらに宏仁クリニック(高坂)、ついで東松山宏仁クリニックの増設までに至るあしどりを理事長と常務理事に苦労話も含めてお伺いしたいと思います。
1.小川診療所の開設から病院設立まで
今年2001年(平成13年)12月2日で、埼玉県比企郡小川町に1981年(昭和56年)12月、人工透析と内科クリニックの診療所を開設して20年になります。その後病棟を増設し、宏仁会小川病院と改称し、更に医療法人社団の認可を得まして高坂に宏仁クリニックを開設しました。それに続く病院の展開を創立20周年宏仁会小川病院年譜として纏めました。この年譜は1996年(平成8年)10月開院15周年の記録として作られたものを基にし、本年までのその後の経過を追加し作成したのものです。
この年譜から必要な個所を抜粋し、その儘引用して当時の概略を辿ってみたいと思います。なお、その時々の詳しい事情を物語る背景は省略し、事実だけをお話します。
1980年(昭和55年)8月2日、埼玉県比企郡小川町原川の土地を実見。これは診療所開設用地に関する調査8回目。小川赤十字病院外来終了後、柳重治氏と同行し小川駅と竹沢駅の中間点、小川町原川敏雄氏所有の土地(栗林)へ案内して戴く。
当時、埼玉医大では導入透析の他に維持透析も実施していました。埼玉西北部には慢性腎不全患者に対応する透析施設は少なく、特に比企郡地域には第一線の維持透析施設は皆無の状況でありました。従って、小川に透析診療施設が開設されればこの地域の嚆矢となるものでありました。
1980年11月10日、小川診療所設計協議開始。
1981年(昭和56年)7月9日、小川診療所起工式挙行。計画記録開始より12ケ月間が経過。建設協力者の助力、資金対策その間の紆余曲折を経て起工式となる。当日、原川敏雄氏、松下昌宣氏、設計建築関係、大学関係者が出席。
同年11月28日、小川診療所竣工式を挙行。
式場 二階透析室
司会 熊谷外科病院事務長 小沼建造氏
診療所長挨拶 北川 宏
御来賓祝辞
埼玉医大病院長 大島良雄教授
埼玉医大第二内科 土肥豊教授
小川赤十字病院 町野籠一郎副院長
祝吟 北川忠義「黒田節」 舞 中島てち婦長
同年12月2日、小川診療所開院。院長北川宏、事務長松下昌宣、以下職員8名。12月2日は快晴。日本列島は雪。午前外来受診者3名、内1名現在も通 院中。12月3日入院第一号患者、現在も通院中。なお、以後12月2日を本院創立記念日とした。
1982年(昭和57年)1月4日、夜間透析第一回施行。
1982年1月以降、病棟増設案につき検討開始。
診療所には形だけのベッドが数床ありましたが、これでは透析合併症の患者入院の対応には不充分でした。当時、一般 病院や診療所で対応不可能な重症の合併症患者は、赤十字病院や大学病院へ搬送されていましたが、これらの大きな病院はいつも満床のことが多く、入院は数日待ちがざらでした。
このような状況が続く中、今まで通りに、重症の患者さんは大学病院等へお願いするとしても、透析患者の増加に備え、また一般 内科医として対応可能な、呼吸器疾患や消化器疾患患者を受け入れることのできる自前の入院設備が是非とも必要となってきました。一方、患者さんからは、急変した時に直ぐ入院できるような対応をしてほしい旨の希望もあり、これらの患者さんへの対応策として、次第に小川診療所増改築案の具体化が進みました。
1983年(昭和58年)10月14日、宏仁会小川病院病棟増設起工式。(名杯)小川診療所増改築地鎮祭。診療所、大学関孫、温泉関係、設計建築関係者が出席。
1984年(昭和59年)2月18日、病棟増改築上棟式。
同年2月29日、大島教授を埼玉医大名誉院長室へ第一回訪問。その後、新病院名の名称数回変更後大島教授に相談。3月12日宏仁会小川病院と最終決定した。
同年5月8日、宏仁会小川病院竣工式を挙行。病院玄関前にて、大島良雄教授、土肥豊教授、町野龍一郎日赤副院長、来賓医師、職員一同の記念写 真撮影。その後、竣工式会場へ移動し、祝宴開く。開設挨拶。医道に悖ることなく病院づくりに職員一体となって取り組む要旨の挨拶を為す。病棟稼動開始。
2)宏仁クリニック開設まで
宏仁クリニック開設までの背景と云いますか理由としては、東松山市周辺に維持透析の施設がなく、患者さんは小川迄通 院治療中でした。その不便の解消と云うのが先ず浮んで居りました。その為には、宏仁会小川病院の医療法人化が先決問題でありました。この辺りの所も20周年年譜から振り返ってみます。
1991年(平成3年)1月以降、医療法人化への改組切り替え作業続行、書類作成のため多忙。
同年1月31日、個人病院より医療法人組織切り替え手続きに関し東松山保健所から視察調査受ける。
同年(平成3年)2月1日、宏仁会小川病院の医療法人社団認可。以後、病院正式名称を医療法人社団宏仁会小川病院と称す。県において、法人名称と施設名称共に宏仁会小川病院の同一名称の認可を得る。この法人認可は、高坂に宏仁クリニックを開設する為に必要な認可事項であり、初代事務長松下昌宣氏の苦労の賜である。松下氏にその功績の大半を負うもので病院創立年譜に特筆記録すべき事項であった。
当時小川施設においては、透析患者総数中に占める東松山からの通院透析者数は25%に達していた。夜間透析終了後の遅い帰宅時間や、冬場の通 院困難等の理由から、市内通院可能な施設が要望されていた。その現実的な要請からその実現の為の構想に至るまで、かなりの月日の経過が必要であった。 様々な折衝段階を経て困難な曲折を解決することが出来た。その結果、ようやく高板へ宏仁クリニック開設を実現することになった。この実現には、初期段階から冨岡和子氏からの施設趣旨への賛同があり、好意協力応援が得られた結果 である。
平成3年4月20日、宏仁クリニック竣工式。
同年4月23日、松下事務長と埼玉県庁と最終折衝、総ての法人組織化及び開院手続き完了。
同年4月28日、宏仁クリニック開院式を挙行。
理事長・相原院長 挨拶
御来賓挨拶 土肥豊、吉川康行、吉田哲の各先生
乾杯 山本恵一郎先生
同年5月1日、宏仁クリニック開院・診療開始。
相原幸雄院長就任。職員3名。第一回透析患者6名、夜間透析患者3名。
同年12月21日、忘年会・創立10周年記念行事を挙行。10年勤続者を表彰した。
平成4年3月4日、事務長松下昌宣氏逝去。
同年11月1日、冨田哲也第2代院長就任。
〔東松山宏仁クリニックの開設経過や3施設の将来の展望については、次号に掲載予定です〕
●研修会に出席して
◇小室 範三(宏仁会小川病院)
去る7月15日宏仁会病院初めての3施設合同研修会に出席した。
会場へ入ると病院のスタッフや職員の皆さんににこやかに迎えられ、ロビーには絵画、俳句、写 真等の作品が花を添えていた。
北川理事長先生の開会挨拶、16名の永年表彰と続き、次いで宏仁クリニック武野谷主任さんの「透析患者の介護保険」に関する研究発表があった。
次に「透析療法の生活報告」を小川病院友の会初代会長の野崎茂氏が発表された。氏の21年間におよぶ透析生活の中で直面 した幾多の合併症を克服して、現在も至って元気に活躍されている、と言う発表に会場から大きな拍手がおくられた。
三番目の発表は「透析患者の睡眠障害について」と題して小川病院吉田院長先生が豊富なデーターを基に発表された。私も入院検査を受け異常なしと診断された1人である。
午後の部に入り「友の会活動史」が小川病院近重婦長さんの説明でスライド映写され、なつかしく拝見した。
最後の講演は埼玉医大教授鈴木洋通先生の「透析療法における合併症について」であった。先生は塩分と水の関係、減塩による延命効果 、透析患者の痒みと対策、等々わかり易く話された。
以上どの項目も透析生活には重要なことばかりで身を乗り出して拝聴した。
午後2時閉会となり、すばらしい内容の研修会に心を充たされて家路についた。
●研修会感想
◇志村 政市(宏仁クリニック)
今回宏仁会三施設合同研修会を開催してもらい、私達も出席させて頂きました。今回の研修会についてもそうですが、常に先生、スタッフそして患者が、いつでも同じ気持ちをもって透析を受けられることを感謝しています。
これからもこのような研修会を行って頂き、皆さんで話し合い、より良い透析を受けて元気に過ごしていきたいと思います。
「介護保険について」
透析患者の介護保険に関する認識調査、介護保険を受けるための説明が誰にでも分かるように良く説明が出来ていました。私達にとって大変ありがたい事でした。
「透析における合併症」
私は透析をすることにより色々な不純物が抜けて行くことを初めはなかなか理解できにくかったですが年数を重ねていく内になんとなくわかるようになりました。今では食事や水分にも気を使うようになりました。しかし時が過ぎると忘れがちになって、水分が増えたり、塩分の取りすぎになります。このことに気をつけるようにしていけば、より良い透析が出来るかと思います。先生の話ですが水分を取るより、まず塩分を減らしたら良いとの話でした。
「私の透析」
私は透析を始めて十四年になりましたが、その間八年間にわたり会社に勤務していました。その後退職をし、家庭に入り農作業をしながら透析に通っています。
現在体調が良くないので療養中ですが、この夏を頑張って、又秋の旅行を計画して皆さんと行くようにしたいと思っています。
●三施設合同研修会に参加して
◇福田 等 (東松山宏仁クリニック)
朝からうだる様な暑さの中、10時40分頃会場の国立女性教育会館に着きました。
まずここでびっくり、なんと駐車場から会場まで300m位の距離の所を、病院スタッフがバスで送ってくれていました。細やかな心配りに感謝しつつ会場内へ、入り口では昔懐かしい写真などが貼られていて、しばし昔を振り返りつつ、懐かしい他施設の患者さん達と再会をして、しばし旧交を深めながら、懐かしいひと時を過ごしました。
研修会は永年透析者の表彰式から始まり10年表彰者が14名、20年が2名というもので、先輩方の永年のご苦労とご努力に身の引き締まる思いでした。介護保険の活用に関する発表では、私自身年齢的にまだ保険料も取られていませんので今まであまり理解していなかったのですが、わかりやすい細かい説明のおかげで、かなり理解をする事ができました。
やはり一番印象に残っているのは、医療講演者でしょうか、水分量と塩分の関係や、リンの事など心臓に疾患を抱える私としては、非常に耳の痛い話でした。
自分自身、これから気をつけていかなくてはと思います。今回の3施設合同研修会は、患者さん達の交流にもなりましたし、昔を振り返り自分の透析人生を振り返れたという部分でも大変意味があったと思います。来年も再来年も、益々発展していけばと思いました。
又、いつも研修会を企画している立場の自分としては、この暑い中、会場の準備や、患者に対する細かい心配りをしてくれた病院の関係者の皆さんに、 心よりお礼を申し上げたいと思います。
皆様本当にご苦労様でした。そしてありがとうございました。100パーセント満足できた研修会だったと思います。
●第46回透析学会に出席して
◇宏仁会小川病院 院長 吉田 哲
日本透析医学会学術集会が、6月22日から3日間大阪で行われた。日本全国の透析医療関係者1万人以上が年一回一同に会するマンモス学会である。 どの会場も参加者でいっぱい。しかも、若い女性が多いので会場には彩りがあり明るい雰囲気が覆う。特に、ポスター会場は人でごったがえし、発表者は騒然とした中で話し、聞く方は雑音で演者の話の内容が殆ど聞き取れない状態であった。
当宏仁会小川病院三施設からは、高血圧・骨髄腫の透析患者・介護保険に関する演題がそれぞれ一題、睡眠障害関係演題が2題の計5題が発表された。中でも、介護保険の演題には多くの関心が寄せられ、口演終了後、スライドで提示された患者さん向けパンフレットのサンプル要求が4,5件あり、発表者の武野谷主任がその対応に忙しい場面 が見られた。仲間として、うれしい風景であった。
さて、勉強で集中後の楽しみに、学会開催地でのお食事処の探索がある。今回は、「タコ焼き」と「金龍のラーメン」の評判が良かったようだ。個人的には、大阪城見学に代え、ちょっと一杯のつもりが結局最後までしっかり腰を据えて飲んだあの居酒屋のお酒の味が最高であった。酒の肴のハモもタコの刺身も良かったな。来年の透析医学会は東京です。演題を多く出して、多くのスタッフが出席できるようにしたい。
●寄稿文
◇医療とサービス
医療事業部 清水 宏
ここ数年、医療職がサービス業の一職種として位置付けられ、いろんな意味で医療従事者の間に戸惑いなどがあったと思います。しかしそのように位 置付けられた以上は仕方ありません。これは一例としてですが、ホテル業種のようにあらゆるお客に対して自分達のなすべき役割を認識し、仕事に誇りを持ち、出来る限りお客のリクエストに応えるのが普通 です。医療機関においても同じではないかと思います。つまり患者さんに最高の技術と知識と心のケアで応えるのが医師やスタッフの役目であり、患者さんが受けた医療に心身ともに満足をされたときに、医療従事者として仕事に誇りと自信を持てばいいのではないかと思います。医療サービス業という意識を絶えず持ち認識し、スタッフ間の私的感情をぬ きとしての各部との連携をしたうえで、患者さんの立場を考え出来る限りのサービスを提供していく姿勢がよりいっそう必要だと思います。ただし、サービス業だからといってスタッフをしもべのように扱う態度や理不 尽な要求には、毅然とした態度で対処すればいいと思います。ただ医療の実際にはいろんな規制がある為、ホテルと比べるのは難しいかもしれませんが、サービス職としてのホスピタリティー精神は同じだと思います。
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◇病棟勤務一年を振り返って
宏仁会小川病院 病棟主任 澤田 政江
高齢化社会の波にもれず、宏仁会にも通院透析困難な状況の患者さんが増えてきています。患者さんのQOL、家族との関わり、生きる意欲、価値観、感受性、社会性を垣間見る入院生活は、畳一枚のベッド上がその方の生活の場、生きる場となります。
決して快適ではないであろう入院生活を、明日への希望へと繋がる道となる様に、私たちはお手伝いをしていきたいと思います。
家族の方、又親しい方々の面会が平々淡とした入院生活に活力を与え、家へ帰りたいと願う思いが、治癒、生活力の向上に役立っているものと思います。俳句をたしなむ91歳の女性が、ただむなしい、家の事が気になりながら何もできない自分がむなしいと言われます。人はずうっと何かをして生きていたいのだと思います。現在の介護保険が現実味をもって家族と共に生きたい人たちの手足となり不可能を可能にしていけるものであって欲しいと切に願います。
又私たちスタッフも、患者さんが通院できる事への助力をできる限り行い応援していきたいものと思います。
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◇栗林だったこの地に
宏仁会小川病院 栄養課 山崎 良法
病院に勤務するようになって17年余りが過ぎました。
宏仁会小川病院が誕生して17年余り、小川診療所からスタートして12月で20年です。
私が、この地域に良く遊びに来るようになったのは、大河小学校を卒業して竹沢小学校の卒業生と西中学校で同級生になった頃からです。当時は自転車でよく遊び歩いたものです。国道と線路のガードをくぐると左側は畑、右側は田んぼと、奥のほうに栗林。そんな地に昭和56年夏私が栄養士に成った頃、人工透析の施設が出来るという話が何処からとも無く聞こえ、当時「あそこに−」という感じで聞き、食事療法大変だろうなと思っていました。ましてや、その後自分が勤務するようになりその食事療法の一部を担うことになるとは当時の私には、ひとかけらも思いませんでした。
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◇後工程(あとこうてい)がお客様
宏仁クリニック 透析技士主任 山口 和彦
スーパーやデパートにおいてお客様は、買い物に来る方であることは、誰でもがわかる事だと思います。それでは、病院においてはお客様はどなたでしょうか、それは外来患者さんであり入院患者さんであります。
あと一つ、ある方から聞いた印象に残った言葉があるので紹介します。それは後工程という事です、後工程とは、今自分が行っている仕事を誰かが受け継ぐ又は処理をします、逆に誰かの仕事を自分が受け継ぐ事もあります、その時次の方のためにどのように今の仕事をするかを考えてやることが相手への思いやり、しいては自分にも廻って来ると言うことです、この配慮によりスムーズで早くなりトラブルや事故の発生も少なくなり、しいては患者さんの為になると言うことです。
つまり仕事の後工程とは相手の為又は自分の為かもしれません次の仕事をよりやり易く働きやすくすると言う事です。
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