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平成15年度の主な事業計画案
宏仁会小川病院 事務長 徳竹 勇

寄稿
こぼれ話
宏仁クリニック 院長 冨田 哲也

ジジ
宏仁会小川病院 院長婦人 吉田 多枝子

忘年会の秘密
東松山宏仁クリニック 技士主任 新井 洋一

食と健康
宏仁会小川病院 栄養課 上西 聡史

おもいで
宏仁会小川病院 医療事務部 千野 武

ひとこと
リスクマネジメント委員会よりひとこと
宏仁会小川病院 安全管理委員 部会長 山崎 美子

人事往来

東松山宏仁クリニックの紹介

編集後記



平成15年度の主な事業計画案

◇宏仁会小川病院 事務長 徳竹 勇

宏仁会3施設の主要な事業計画を「こうじん」情報誌をお借りしてお知らせいたします。

*1月17日(金曜日)第1回定例会議を開催し、2ケ月に1回定例会議開催

3月、5月、7月、11月の第3金曜日午後3時30分より

*3月15日(土曜日)職員総会・職員歓送迎会開催

*4月2日〜4日(木曜日〜金曜日)第100回日本内科学会開催(福岡)

*5月1日(木曜日)宏仁クリニック・東松山宏仁クリニック創立記念写真撮影実施

*6月20日〜22日(金曜日〜日曜日)第48回日本透析医学会開催(大阪)

*9月7日(第1日曜日)第3回宏仁会合同研修会開催予定

*10月5日(第1日曜日)3施設職員勉強会開催予定

*11月上旬の土曜日 職員親和会総会開催予定

*12月2日(火曜日)宏仁会小川病院創立記念写真撮影実施 (昭和56年12月2日開設)

*12月20日(第3土曜日)平成15年度忘年会開催予定



こぼれ話

◇オペ室こぼれ話 第一話(忍耐強き女性)
  宏仁クリニック 院長 冨田 哲也

今日の症例は66才の女性。他院の透析センターで透析導入となった。既往歴で悪性リンパ腫の手術、骨肉腫の手術を受け右下肢と右骨盤を摘徐して松葉杖で生活している。初めのシャントの血流が悪く良好な透析が出来なくなったので直して欲しいと40kmも離れたクリニックから来た患者さんである。

どうも息子さんと一緒にタクシーに乗って来た様だ。手術衣に着替えた患者さんを観ると右の片足が無く松葉杖でオペ室に入ってきた。オペ台に横になって貰い、シャントのある左腕を手術台に伸ばして貰った。前腕をイソジン液とハイポアルコール液で消毒し、手術する部分のみ穴明きの布で被い、皮膚に局所麻酔を施し手術を開始した。

患者さんはとても我慢強い方で、手術を通じて痛いと感じたのは、この皮膚麻酔をした時くらいであったようだ。手術時間はそんなに長くはなかったがいろいろな話を聞いた。

20年以上も前の話である。生後8ケ月の乳飲み子を抱え、洗濯物を干している時に、膝より少し上の部分に違和感と痛みを覚えることから彼女の試練と戦いが始まった。近くの整形外科病院を受診し、レントゲン写 真から骨肉腫(osteosarukoma)の診断を受け、医師に手術を進められる。この疾患の恐ろしさも解らず、一端断って帰宅して考える。真面 目な医師で信頼のおける先生であり、自分の為に説得してくれている。嘘では無いだろうと思った。夫に相談するが、夫は亭主関白で取り合ってはくれなかった。

再度、受診する。医師の説得「この子の生命の為に生きて欲しいと、、、、、、、、。」により手術を受けることにした。

整形外科の医師は一人で彼女の手術を行なえる訳では無い。医師からは、「丁度、仏滅の日ではあるがそこの病院に手術が予定されていないので、仲間3人の医師を連れて来て、彼女の手術をやることが出来る。99%駄 目でも1%に賭けてみる生き方もある。仏滅だって人間が決めたことであり、絶対ではありません。あなたの病気は結果 が悪いと言われているが、1%でも助かる可能性だってある。手術はやってみなくては何とも言えない。」と説得された。痛みがおさまらず、身体はどんどん痩せていく。37kgまで体重は落ちていった。

台風が発生した運命の9月16日に手術をすることになった。術後の疼痛は死線をさまよう程の苦しみの連続であった。しかし、徐々に体力が回復して日常生活に戻るが、頼りとなるべくはずの夫は妻子を捨てて居なくなってしまった。片足と松葉杖で内職の仕事をして必死になって生き抜いて来た。

ある日、背負っている子供の息使いがいつもと違うことに気付いた。保健所に連れて行ったところ、息子は小児結核に罹患していると知らされた。子供の息使いで身体の異常をしることが出来たのは子供を背負っていたからだと言う。それからの人生はまさに、筆舌に尽くしがたい生活を送ることになる。子供を結核から守る戦いが始まった。同じく自分が腎臓機能が悪いことを指摘されるが必死に生きる。精神的な糧を求めてクリスチャンにもなり病との戦いに願いを続けた。自分の病との戦い、子供の病との戦い、日々を重ねるうちに腎機能は次第次第に低下していった。将来、腎不全になって透析治療が必要となることを悟っていたので、ある透析クリニックに飛び込んだ。そこは、以前、保険の外交員として保険の勧誘に行ったことのあるところであった。そこから直ちに大学病院を紹介され透析導入となったという次第である。そんな話をしている内に、内シヤントの再建手術は終りに近づいた。

彼女は、最後に、「私は恵まれているんです。良い先生に恵まれ、今度も助かりました。有難うございました。」と言う。「いいえ、貴方のお話を聞かせて頂いて、大変勉強になりました。今度は、手術の時ではなく、ゆっくりお話しを伺いたいものです。こちらこそ有り難うございました。」と答えた。



ジジ

◇ジジ
  愛猫、くろねこ「ジジ」のこと
  宏仁会小川病院 院長婦人 吉田 多枝子

13年前の9月、生後2ヶ月の真っ黒な毛糸玉のような彼女(母親はベージュ系のペルシャ、父親はシャム、獣医に不倫の子ではないかと聞いたが、ペルシャとシャムの間ではこのような毛並みの子が生まれることがあるとのこと)が我が家の一員となった時には、既に、10才になる賢くて愛情深いマキ太郎(茶マキ猫)と気位 が高くしかも甘ったれな5才のシルキー(シャム猫)という先輩達がいた。

挨拶代わりの“シャー”の威嚇と、猫パンチの先制攻撃を受け、彼女はそれ以来自己主張するのをあきらめ、自分の居場所すら見つけられず、すっかり臆病猫になってしまった。“ジジ”と名前を呼ばれても、こそこそソファー下等に隠れたり、かつての広島カープ古葉監督のように柱の陰に半身を隠して遠くからこちらを見ている有様だった。

私は、何とかしようと無理に捕まえては、「これが、だっこだよ」と抱きしめてはみたが、身体をまるで棒のように硬くして突っ張り、爪を立てて、埒があきません。マキ太郎とシルキーの圧倒的な存在感の中で、家族全員のジジ子への関心は薄くなっていった。

ところが、平成8年12月にマキが17才で亡くなり、さらに平成12年11月シルキーが15才で突然死してから、彼女の環境がすっかり変わり、まるで大部屋の女優が突然主役に抜擢されたような状態になった。私は、暇があれば、ジジの名前を呼び、抱きしめ、まるでご機嫌をとるかのように、お食事時には、主人のおつまみのお刺身、お肉、焼き魚を分け与えた。しばらくすると、驚くなかれ、あんなに突っ張っていた身体の力が抜け、すんなりと腕の中に収まるようになり、常に人のいる場所に身を置くようになったのです。

そればかりか、最近のわがまま振りは大変なもの。猫缶が自分の気に入ったものでない時には、“ニャーオ、ニャーオ”ではなくて、“オーイ、オーイ”と大きな声で私を呼びつけます。ちなみに、主人からは一度もこのように呼ばれたことはありません。気の入ったのに替えてくれとの催促です。

今では、しっぽを、耳を、手をひっぱられようが、肉球(足裏の毛のない部分)を撫で回されようが、ゴロゴロと喉を鳴らして逃げません。

もうすぐ14才。人の年令では70才代でしょうか。少し眼球が濁ってきていますが、まだまだ毛並みは良く元気です。

二人と一匹のこの平穏な生活がいつまで続くことでしょう。



忘年会の秘密

◇忘年会の秘密 『岩堀(弟)先生は悪い人です。』
  東松山宏仁クリニック 技士主任 新井 洋一

2002年の秋は、夏の暑さが厳しかったせいか、彼岸が過ぎ10月にもなると途端に寒さを感じるようになった。また、紅葉と同時に落ち葉になってしまったのではないかと思うほど、あっという間に過ぎたように記憶している。11月が過ぎた頃には、初冬のような寒さが続き、この冬を越すのが憂鬱になるような日々が続いていた。その頃、私は埼玉 透析医学会の準備に追われ、忙しい毎日を送っておりました。

そんなある日の事であった。宏仁会各施設の職員の間から「今年の忘年会はどうするんだろうなぁ」などと、どこからともなく変な噂が聞こえはじめてきました。ここで、皆さんは、もうよく知っていると思いますが、岩堀(弟)先生の紹介をさせていただきます。先生には、東松山宏仁クリニックはもうかれこれ6年くらいお世話になっています。現在は、毎週水曜日の診療を担当していただいております。また最近は、第2、第4土曜日に小川病院も手伝っていただいているそうです。

ある日、岩堀先生は私に向かって、この前小川病院に行ったら藤原さんから「先生、今年の忘年会期待してますよ」と囁かれたんだよと、私にボソボソと話してきました。その時私は、「先生今忙しくてそんな余裕ないよ今年は勘弁してよ」と答えておきました。それから埼玉 医学会も無事終了し、やれやれと思い12月を迎えました。

今年の冬は足早にやってきて、真冬並みの寒さが続き何年ぶりかで雪も降りました。私はその時分より段々と、嫌な予感を感じるようになってきました。そんな折、千野さんから、今年の忘年会は、またやりまっせと新井さんが燃えているんだよなぁ、などと岩堀先生が言いふらしているとの情報が得られました。私はすかさず「とんでもない嘘だ。そんな事言った覚えないよ。」と否定しましたが時すでに遅く、その時にはもう全員の根回しがすべて終わっていたそうです。当の岩堀先生に問いただすと、「新井さん言わなかったっけ、もう構想は練ってあるんだ。婦長たちには勝てるぞ、深谷には負けないぞ」などと、自分ひとりで盛り上がっていました。そんな事で遂に、我々は岩堀先生の戦略にはまり、忘年会でダンサーズの復活をするはめとなった次第であります。それからというもの演題の曲選び振り付けと、東松山はもう岩堀先生の独壇場となりました。そして大体が決まったところで、私が呼ばれ「新井さんこんな所でどうだろうなぁ」と意見を聞かれたのです。私は即、「古時計だけは賛成出来ません省きましょう。」と提案しましたが、先生は「今回はこれがメインだから」と一歩も引き下がる様子がありません。仕方ないかダンサーズだけでも大恥なんだからと泣く泣く承知し、それから大道具、小道具、衣装を集め、いざ稽古となりました。練習は12/17(火)12/19(木)の計2回、両日とも透析機械のオーバーホールと透析液溶解装置の設置と重なり、業者の方が遅くまで作業で残って居た為、東松山宏仁クリニックの1階外来診察室に鍵をかけて秘密練習となりました。練習は、本番さながらの真剣そのものであり、最後に岩堀先生の「ヨシ」の掛け声で終了となりました。

忘年会は、12/21(土)当日は昼過ぎから雪まじりのみぞれ、先生からはJR高崎線が雪でストップしたので本日欠席との冗談メール、開演ギリギリで到着したときは全員がほっとしたものでした。そして1部が無事終了し、いざ本番控え室で衣装に着替えホールで待機中なぜか先生そわそわ、固定してあるグランドピアノを盛んに動かせと全員に指示、何故そんなことするんですかと聞くと、「ピアノ引くと気持ちが落ち着くんだよ」と訳の解らないわがままを言う始末。そんな事をしている間に出番となり、練習通 りに何とか無事演技をこなしました。退場し、全員やれやれご苦労様と労いの声をかけ合っていました。しかし先生だけは何故か不機嫌、よく話を聞くと入場と同時に足がつって痛くて痛くて、「もう年なんだからこんな事、絶対やらねーぞ」と独りでわめいておりました。皆、呆れかえるやら、情けないやら。

『岩堀(弟)先生は本当に悪い人です』



食と健康

◇食と健康  食べることと健康のつながりについて
  宏仁会小川病院 栄養課 上西 聡史

近年、生活習慣と人類の健康との関係が、生活習慣病の概念提示とあいまって、保健専門家並びに健康に関心を持つ一般 の人々の双方から、食というものに関心が集まっています。「食」とは言うまでもなく、生活基盤の中心に位 置されるものであり、それが自身の生命の維持に直接的に関わるものであると言うのは皆さんもわかっていると思います。昔から、「医食同源」というように古くから人々は自らの健康の根源をいろんな切り口から「食」に求めてきたのではないでしょうか?昔の食事の概念(栄養学的)は、戦前、戦後あたりは欠乏症の予防に趣が置かれていました。しかし、現在では食材の入手が容易になるにつれて自分の好きな食べ物や食べたい物がいつでもどんなときにも食べられるようになり、食生活や生活習慣が乱れ、生活習慣病がさわがれるようになりました。栄養学的な概念も欠乏症の予防から生活習慣病の危険因子を少なくさせることに趣が置かれるようになりました。

高血圧、動脈硬化、糖尿病などが生活習慣病といわれています。糖尿病に関していえば、現在、糖尿病と診断されている人は日本で700万人、40歳以上で10人に1人といわれています。これに予備軍を含めると、1400万人近い人が、糖尿病に配慮した食生活を必要としています。糖尿病では食事の配慮を怠ると網膜症や手足の感覚が鈍くなる神経障害、そして腎機能が低下する腎不全などの合併症が起こりやすくなります。これを予防するためにも、また日々の体調を整えるためにも、生活の中で健康的な食事を重視することが必要です。

栄養士の立場からすれば、食事を重視したのはよいが、それを自分でどうやって実行していくかが重要です。健康に対する知識があってもそれを実行に移すことが出来なければ意味がありません。しかし、普段、食事を作らない人にいざ作れというのはかなり難しいと思います。確かに全てを実行することは簡単なことではありません。そこでいくつか方法がありますが、まずは普段の生活をします。その中で、食習慣、生活習慣の問題点を全て紙に書きます。例えば、朝、昼、夜で二食しか食べていないとか、外食が多いとか、運動していないなど、人それぞれ問題点があると思います。その書き出した問題点の中で一番自分に出来そうな物を選んでください。まずはその選んだ問題点だけを実行し、継続するようにします。継続して自分の習慣になったら次の問題点に移るというようにする。

一つ食事に対する問題点があり、改善しようと努力し検査の結果がよいとなれば、これは続けていく事が食事に対するストレスを減らすことにつながるのではないでしょうか。逆に、問題点を一気に直そうとすると、どこかで無理をすることになり、ストレスを貯め、妥協する人も多くなるでしょう。まずはひとつひとつ問題点の発見とその解決をしていくことが大切です。まずは行動してみて下さい。必ず改善すると思います。



おもいで

◇おもいで 忘年会によせて
  宏仁会小川病院 医療事務部 千野 武

私が平成6年4月に宏仁会小川病院にお世話になり早9年目になりました。入職して直に高坂の宏仁クリニックに勤務が決まり、色々と覚えることがあり何とかやっているうちに半年が過ぎた頃忘年会の話を耳にしました。職員、先生方、日頃お世話になっている方々が参加すると聞いて人数が多いから会場が大変だろうな!!その位 にしか考えていませんでした。そんなことを考えているうちに12月忘年会当日、北川理事長、先生方挨拶、紹介、祝宴そして余興や隠し芸が始まり最初に目にした時は驚きの一言でした深谷チーム、小川病院チーム、宏仁クリニックチームの団体、個人と次々とでてくるものには笑ったり、感心させられるものも多々あり、いい思い出になっています。数年後東松山宏仁クリニックが開院しスタッフも増え芸達者が加わり毎年盛大に12月の一大行事の一つになっています。私も翌年から参加していますが、飲まなければとても出来ないようなこともありますが、終わった後の安心感というか、達成感というかなかなか味わえないものが私は有りました。皆さんも是非参加してみてはいかがですか。ただ残念なことは自分が準備しているので他の参加者の方々が全然見られないのは非常に心のこりがあります。

忘年会の会場とは別に私自身一度司会を仰せつかったことがあり理事長、常務と打ち合わせの時のことですが一つ一つの席順、配置、挨拶、時間、料理まで等事細かに神経をつかっているお二人の姿が印象的で今でも忘年会のたびに思いだされます。



ひとこと

◇リスクマネジメント委員会よりひとこと
  宏仁会小川病院 安全管理委員 部会長 山崎 美子

宏仁会小川病院は平成13年に創立20周年を迎え今年で22年目です。その間、宏仁クリニック、東松山宏仁クリニックと3施設からなる病院へと発展してきました。

21年の間には、大小問わずヒヤリとしたことや、ハットしたことが多数あったと思います。でも医師・各スタッフ等の協力にて大事故にも至らず過ごして来ました。

一般的には、医療内容の高度化・複雑化と共に医療事故件数も増加しているそうです。しかし、それに付随して医療事故の内容も複雑化・高度化しているわけではなく、単純なヒューマンエラーが事故の原因となっているケースが多いようです。最近頻繁にテレビ、新聞等に取り上げられている医療事故を見ても頷けます。 厚生労働省の方針として、全ての病院に安全管理体制の確立が義務づけられ、宏仁会小川病院においても安全管理の見直しとともに昨年、新たに安全管理委員会が発足されました。

ヒヤリ・ハット報告書も新たに作成され、全職員に内容の記載を促して来ました。報告することは個人非難ではありません。報告書は、どういう状況や原因でミスがあったのかを調査することによって、どういう対策を立てるかのために必要な書類であり、小さなミスが大事故にならないように全員が注意するためのものです。 私はこの数ケ月間委員をさせていただいて、ヒャリ・ハット報告書の内容を見ておりますが、他の病院と同様の透析中の出血、除水設定関連のミス、AV逆接続、輸液シール、注射液等のミスが当院でも報告されていたようでした。

私達委員は、宏仁会小川病院2名、宏仁クリニック1名、東松山宏仁クリニック1名の計4名で構成されています。

各施設で提出された報告書にもとづき1ケ月1回会議を行い、その中で検討し、対策を立てて安全委員会へ報告書を提出し回答をスタッフに報告しています。 各施設にあるヒヤリ・ハット報告書のバインダー内にミス内容を記載した文書が挟んであります。各自が必ず読んで注意し看護業務に従事してほしいと思います。 医療現場において医療従事者一人一人が高い意識をもち、情報を共有し何でも話し合える環境と共に人間関係を作ることが事故を防止する第一歩と思います。



東松山宏仁クリニックの紹介

◇東松山宏仁クリニック 看護主任 屋代 茂子

当クリニックは平成7年5月1日、吉川院長のもとスタッフ4名・看護助手1名で開院し、当初は患者数26名・ベッド数15床でした。場所的には東松山駅より約1km・徒歩10分位 、丸広百貨店・市役所も近くにあり市の中心部でとても良い所にあります。(主婦としては買い物に便利なので助かります)

外来をしていない為当初は近所の人から‘怪しい病院’と見られていたようでしたが、徐々に存在を知られるようになり、紹介患者も増え現在は88名になりました。患者様の平均年齢も若く元気なので、友の会活動も盛んで出席率も良好です。平成13年に改築しベッド数も36床となりました。スタッフも技士3名・看護師6名・看護助手1名・事務2名の12名に増えました。 それではスタッフの紹介をします。

<吉川院長>
既に医学を究めているにもかかわらず日々の勉強を怠らず(しかも英語を原文のまま読んでおられます)、常に最新の医療を提供しようとする姿勢には感服しております。患者様や職員に接する態度も‘威張らず・怒らず・おごらず’で正に「実るほど頭を垂れる稲穂かな」です。

<臨床工学技士>
新井:患者様・先生方・職員からの信頼は絶大。知識・技術とも右に出る者はいません
本多:有能な人材は連れ戻される運命でした。東松山のこと忘れないでね
菊池:2月より入職、4年の経験があります。新婚ホヤホヤです

<看護師>
飯野:飲ませたら底なし(最近ちょっと弱くなった)何事にも頼りになる姉御です
多田:ちょっと天然?!そのため未だ独身 良縁ありましたら宜しく
古旗:ダイエット番組は必ず見るが実行せず、おまけにグルメなため変化なし。悪化傾向かも?
吉澤:患者様・職員から怖いと恐れられていますが、それも相手を思えばこその事です
湯本:物静かでおしとやか。白金に住んでいそうなマダムです
屋代:家でも職場でも言いたい放題。オヤジいらないから主夫が欲しいよ〜

<看護助手>
関口:広い院内を休む間もなく掃除してくれて、一番の働き者です

<事務>
斎藤:宏仁会開院時より勤続21年、只一人の最古参。電話の声が魅力的
佐次清:レセプトなんてそっちのけ携帯メールに忙しい。墜した女は数知れず。‘レディーキラー・サジキヨ’宏仁会の宴会部長‘サジキヨ’だあ〜

こんな顔ぶれで和気藹々とやっております。皆大切な‘人財,です。周辺の医療環境にも変化が見られますが、院長の治療方針に従いより良い医療を提供することをモットーに、患者様から選ばれる病院を目指します。


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